2026/04/27 21:53

靴べらを買ったのです。


ポケットにも入りそうな小さなものはあるのですが、日に日に体が固くなって小さくかがむのが厄介になってきたので、柄の長いものを。こんなようなやつを100円ショップで。

買ってみて思い出したのだけど、実家にあった靴べらがたしかこんな長さのこんな形のものでした。

色が黄色くて、柄が長くて、決して高級とは言えないプラスチックの素材のもので。
毎朝、父が革靴を履くのに使っていた靴べら。
我々子どもたちはスニーカーとかズック(?)だったから使っていなかった、母は使ってたのかな?わからないけれど、幼心に「父専用」感のあった、特別でもなんでもない黄色い靴べら。

今も両親が暮らしていた家にあるのかなあ。別にあっても引き取りたいとかではないけれど。

思い出って、残そうとして残すもの、作ろうとして作るものだけではなくて、こういう意識せずとも残ってしまうものもあるんですね。同じ「思い出」という言葉であることが不自然に感じるぐらい、特別な記憶とはちょっと性格が違う、記憶であり、印象であり……なんだろう、存在というか、もはや自分の体の一部になっているような、そんな思い出。

もしかしたら、この類の思い出が、知らぬ間に心にたくさん沁み込んでいて、それがたくさんあればあるほど、人はしあわせになっていくのかもしれないなと、そんなことも思いました。紅茶もたくさん沁み込んでるし。

皆さんも、良き思い出の沁みあふれる人生を。