2025/10/26 22:31

今月の東京は記録的な日照時間の短さだそうで、日本全国、特に東日本の太平洋側は同じような気候のところが多いのでしょうか。少し調べたら仙台もずいぶん陽が出ていないようですね。

そんな仙台では今日全日本大学女子駅伝が行われていたようで、昼間、テレビをつけて選手の皆さんが懸命にたすきをつなぐ様子に見入っていました。


やはり自分が育った街が舞台になるというのは、なんというか見ていても力が入るというか、リアリティがあるもので、画面に映る景色を見ては「おお、あそこのマンション◯◯の家だな」とか、「わー、うちの中学校の前が中継所なのか」とか、競争そのものに加えて、プチ帰省感覚(?)のようなものも味わわせてもらっていました。

毎年、なぜか仙台は2つの大きな女子駅伝(大学女子駅伝と社会人女子駅伝)の舞台になっていて、この2つの競争をテレビで見るたびに思うのですが、選手たちが走るのってめちゃくちゃ速いですね。

小学生の頃、自転車でずいぶん遠くまで出かけたなと思った距離を10分もかかるかかからないかの距離でびゅーんと駆け抜けていく。特に大きな川にかかる橋は学区の境界になっていることも多かったりして、小学生にとってはなかなか渡る機会がなくって、私にとっても広瀬川にかかる橋は時として世界の端っこみたいなものだったのですが、選手たちはあっさり向こう側の世界にわたって、そして5分でこっち側に戻ってくる(笑)。

自分のなんという小さな世界に生きていたことか!!

それはたぶん子どもの頃だけではなくて、今もそうで、地理的な狭さもそうだけど、習慣、行動、思想、好み……。私というものを構成するあらゆるものがすべて小さい、勝手に限界を決めた小ぢんまりとしたものなのだろうなと想像します。

まあ、だからといって「大きく生きなきゃ!」とか「挑戦しなきゃ!!」「停滞は死である!!!」とかは思わないんですけどね。この小さくて、心地よい世界でのんびり生きていくのも、それはそれで悪くないかなって。ただ、小さいんだろうなって感じるだけで。なんだろう、島の外には無限のように大きな世界があることも知識としては知っているけれど、私という島に満足して、私という島でおちついて生きていくような感じなのかな。

東京は明日から数日間晴れるみたいで、久しぶりに秋晴れの空が望めそうです。
夏よりもずっと高く高く見える秋の空。この空の向こうにも、私の知らない世界がずっとずっと広がっているんですよねえ。