2018/08/09 12:09

最近、お仕事(犬猫紅茶店と並行してライターの仕事をしています)の関係で歴史解説書のような本を何冊か読んでるのですが、どんなに素人向けにつくってある本でも、ある程度の知識は「知っているもの」として書かれています




たとえば「ペリーが来航する以前からたびたび日本に外国船が来航して開国を求めていたが……」(「教養としての日本近現代史」河合敦著・祥伝社から引用)みたいな感じで。そこにペリーとは何者なのか、何をした人なのかはそれほど書いてありません。ただいきなり「ペリーが来航する以前から」って書いてある。『お前ら、ペリーが日本を開国させたのは知ってるよな』ということが書き手と読み手に共通した知識として下敷きになっているわけです

いわゆる業界誌紙のようなところで仕事をすることもあるのですが、そういったところでも共通の下敷きは使われます。じゃないと、紙幅を食って仕方ないですし、何より読み手に「そんなこと知ってるわ、今さら何を説明してんだ!」といういらぬストレスをかけてしまいますから

で、紅茶の本をいろいろめくってみます
まあ「紅茶の本」といってもいろんな種類のものがありますから、一口にああだこうだとは言えませんが、多くの本で共通しているのは「おいしい紅茶のいれ方」が紹介してあったり、「有名産地の紹介」が掲載されていたりすることです
きっとそれぞれの本でプロの編集者さんがあれこれと知恵を絞り、これらのコンテンツは欠かせないだろうと生み出された記事だとは思うので、きっと意味があるんだとは思うんです。思うんですけど、逆に言えば、こうした記事を見るたびに、まだこれらが欠かせないほどに紅茶の情報は市中に広まっていないんだなということをつきつけられる思いもしてしまいます

ペリーが何をした人かはみんなが知っていても、紅茶の基本的ないれ方は知られていないわけです

そろそろ時代的に次のステップに進む頃かなとは思っているのですが、紅茶の本が出ても、雑誌で紅茶特集がされても、その焦点は「おいしい紅茶のいれ方」に当たります。もうしばらくこの状況なのかな
早く書き手と読み手に共通知識の下敷きが用意される状況にまで進めるといいですね